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390 Wennergren (71)

339 PMEG(21)
390 Wennergren (71)



laのアポストロフォ
定冠詞laの母音aは(#9.1)、アポストロフォで代替えし la → l’ とすることができます。
この省略形l’ は、なるべく母音で終わる役割り小詞rolvortetoの後にだけ使うことです:
de l’, cxe l’, je l’, tra l’, pri l’, pro l’:
Liberigu nin Dio, de l’sovagxaj Normandoj!
粗暴なノルマン人どもから、神よ、我々を解放してください!

l’ は別個の語として書かれるのが普通ですが、話すときにはdel, cxelのように、常に一緒に発音されます。
詩では時として、先行の役割小詞なしにl’ が出てきます。L’espero, l’obstino kaj la pacienco…

Sxi vidis ke l’sentoj plu retas.
彼女はその感じがまだ残っているのを見ました。
すべての場合に、l’ は発音できるときにだけ使います。

もっぱら詩のなかで
アポストロフォはとくに詩の中で、過剰な母音を避けるために使われます。
Post longa migrado sur dorna la voj’
Minacis nin ondoj de l’maro;
Sed venkis ni ilin kaj velas kun gxoj’
Al verda haven’ de l’homaro.
Post longa batalo, maldolcxa turment’
La stela standard jam flirtas en vent’
(el La Tagigxo de Antoni GARBOWSKI)
イバラの道を長く彷徨った後で
海の波が私たちを脅かした;
だが私たちは、それらに打ち勝って、喜び勇んで帆を上げて走る
人類の緑の港に向かって
長い間の戦い、苦い苦しみの後に
星のついた旗は、すでに風の中に翻っている。
(アントニ・グラボフスキー:「夜明け」から」

普通の言葉の中では、アポストロフォは非常に稀です。話し言葉にはほとんど出てきません。
6月30日
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389 Wnnnergren (70)

229  糖尿病(1)
389 Wnnnergren (70)



10. アポストロフォ
アポストロフォは、単語の一部が省略されたことを意味する符号です。Esperantoでは、省略された母音が常に問題になっています。

10.1  普通のアポストロフォ
名詞のアポストロフォ
名詞の語尾のoは省略できます。この時、oの代わりにアポストロフォをつけます。しかし、語尾にJかNが後に続くときには、不可です。話し言葉でのアクセントは、oがあるかのように、元のままです。アポストロフォは発語されない母音のようです。

turmento → turment’ (turmEnt’)
vespero → vesper’ (vespEr’)
historio → histori’ (historI’)
metroo → metro’ (metrO’)
metroと比較せよ(mEtr’)
armeo → arme’ (armE’)
armeと比較せよ(Arme)。
revuo → revu’ (revU’) 
  revu(rEvu)と比較せよ。
cxielo → cxiel’ (cxiEl’).
cxiel(cxIel)と比較せよ。

形容詞はアポストロフォできません。Rugx' は常に=rugxoであり、決してrugxaではありません。動詞、副詞の語尾をアポストロフォするのも不可です。しかし、この後でdank’ al という表現を読んでください。語尾のON、OJ、OJNも不可。har' は常にharoであり, 決してharon, haroj, harojnではありません。

相関詞のOは(#15.2)、0で終わってはいますが、この語尾母音は真のO語尾ではありませんから(#13.2)、アポストロフォ出来ません。だから、kio, tio, io, cxio, nenioはki’, ti’, i’, cxi’, neni’ にできません。ただ詩の中だけでは、こういうまともでない表現がときどき見られます。
6月29日

385 Wennergren(66)

385 Wennergren(66)




所有代名詞が後に続く名詞なしに単独で使われる場合には、それは規定詞でなく、規定的な意義を持っていません。規定性を示すためには、その場合, laを加えるのが普通です。

Tiu cxi libro estas mia.
この本は僕のです。
それは僕の多くの本の中の1冊です。非規定的な意味です。

Tiu cxi libro estas la mia.
この本は僕のです。
それは僕のもっている、既知の本です。規定的な意味です。

Unu donis al sia florejo la formon de baleno; alia trovis pli bone, ke sxia florejo similas je virineto de maro; sed la plej juna donis al la sia formon rondan, kiel la suno
一つは自分の花園にクジラの形を与えました; 別の一つはそれよりベターで、彼女の花園が海の女に似ていることに気づきました; しかし一番若々しいのは、太陽のような円形に仕上げられました。
La sia=sia florejo。この3つの花園は規定されています。始めの2つsiaとsxiaで十分に規定されていますが、3つ目は後続名詞なしに所有代名詞だけで言及されており、laが必要です。

Nu certe mi legis la vian, kiel bone skribita!
確かに貴方のを読みました、素晴らしい作品です!
La vian=vian verkon=la verkon, kiun vi faras
しかし時として、文脈が非常にハッキリしていれば、所有代名詞の前のlaを抜くことができます。
Li pli sxatasmian domon ol (la) sian.=…ol sian domon

詩などでは時として、所有代名詞に関する普通のルールに従わないことがあります。こういう用例を、普通の場合に真似してはいけません。
Patro Nia, kiu estas en la cxielo.=Nia patro…
天にまします我らの父よ。

Ho, la profeta mia antauxsento!=Ho, mia profeta antauxsento!
おお、僕の予言した予感!

Eraras for la penso mia.=Eraras for mia penso.
僕の思考は遠く離れて道に迷っています。

Kaj nun, Laero, al l’afero via!=…al via afero!
そして今、ラエロよ、 貴方の仕事に!

Mieno lia montris pli suferon, sed ne koleron. =Lia mieno…
彼の表情はヨリ多くの苦悩を示しましたが、怒りはありませんでした。
6月25日


386  Wennergren (67)



半規定のunu
他の諸言語では、unuに似た特別な非規定性冠詞が使われています。こういう冠詞はEsperantoにはありません。非規定性を示すには、単に規定詞を使わないだけです。しかし時として, unuを半規定の冠詞として使います。 こういうunuは数を示すのではなくて、個別性を示しています。聞き手には未知の、話者には既知の話題であることを示しています。

Unu tagon, promenante apud la reloj de fervojo, li falis sub la radojn de veturanta vagonaro kaj mortigxis.
ある日、鉄道のレールのそばを歩いていて、彼は走っている列車の車輪の下に倒れて死にました。
話者は、どの日に事故が起こったのか知っていることを、unuで示しています。

Unu vidvino havis du filinojn.
ある未亡人が2人の娘を持っていました。
物語の冒頭です。まだ話者だけが、その未亡人を知っています。理屈の上では、数学的な別の解釈も可能です:1人の未亡人は2人の娘を持っている。したがって、2人の未亡人は4人の娘を持っている。しかしこれは全くの見当違いで、主題は物語における役割分担者の提示です。

En unu vilagxo logxis du viroj, kiuj ambaux havis la saman nomon.
ある村に、同じ名前の2人の男が住んでいました。
話者はこの2人を知っていますが、聞き手は知りません。

En unu tago, kiam sxi estis apud tiu fonto, venis al sxi malricxa virino.
ある日、彼女がその泉のそばにいた時に、貧しい女が彼女の方へやって来ました。

Unu vesperon farigxis granda uragano: fulmis kaj tondris, forte pluvegis, estis terure.
ある晩、大嵐になりました: 稲妻がはしり雷がとどろき、豪雨の恐ろしい晩でした。
6月26日



387 Wennergren (68)



聞き手が主題を知っている場合には、規定冠詞laの使用は多かれ少なかれ義務的です。もしlaをつけなかったならば、反対の意味(非規定性)を示すことになります。しかし、半規定冠詞unuの使用は、決して義務的ではありません。それは必要に応じて使うニュアンス付加辞ともいうべきものです。

Vi devas legi libron.
君は本を読むべきだ。
特別な意味をねらっているのか、あるいは聞き手の知らない本をねらっているか、です。

Unu libron vi devas legi, jen gxi.
1冊の本を君は読むべきだ。ほら、それ。
unuをつけ加えた狙いは、「どんな本でも」あるいは「本の種類」を言っているのでなく、聞き手の知らないある特定の本が主題であることを示すためです。

Mi volas, ke vi renkontu unu amikon de mi.
僕の1人の友人に、君が会うことを僕は望む。
話者の「友人たちの中の誰でも」ではないことを、強調するためにunuがつけられたのです。

半規定のunuはZamenhof のFundamentoの中にあり、彼は体系的にそれを使いました。頻繁に使いすぎさえしなければ、それはニュアンス付加辞として非常に有用です。しかしある人たちによれば、unuは母国語の影響のために使われている不定冠詞です。だから、間違えることを恐れて、多くの人がunuの使用を躊躇しています。そのために最近では、使用がすこし稀になっています。多くの人がcertaとiuの使用を好んでいます。しかしiuは少し別の意味を持っていますし、certaはunuよりずっと強調の程度が高い単語です(#23.1.3)。ですが、「時を示す単語」を使う場合には、上記の文例に準じて、unuがまだ広く使われています:
unu tagon..,  en unu vespero..,  unu fojonなど。

unuの特別な用法については、さらに#23.1.3を読んでください。
6月27日

381 Wennergren(63)

▲勘違いのために、「配信されなかった分」があることに気づきました。さかのぼって配信します。付け加えてください。
381 Wennergren(63)



Pruntitaj artikoloj借用された冠詞
ある普通の固有名称は、その母国語の中に、その名前の一部であるかのような規定冠詞を持っています。Esperantoではこういう名前には冠詞をつけません。
たとえば:Hago(オランダの都市)はla抜きです。複数の言語で「ハーグ」には、名前の確実な一部である冠詞がついています: たとえば、がついています: たとえば、Den Haag, La Haye, The Hague, l’Aia. 同じようにHavroもla抜きですが、フランス語では常に冠詞がついています: Le Havre。アラビアの固有名称は常に規定冠詞のついているのが冠詞がついているのが普通ですが、Esperantoではla抜きです: Kairo, Riado, Kuvajtoなど。しかし、Esperantoでも冠詞つきの例を見ることがあります。La Himalajoヒマラヤ, la Atlantiko大西洋, la Mediteraneo地中海(ふつうはla抜きです)。これは正しくありませんが、時には許容範囲です。固有名称は、しばしば100%のEsperanto化を拒否します。
これらの名称の中には、本来の冠詞がEsperanto根の一部になったものがあります: La-Pazo(あるいはLapazo)、La Plato(あるいはLaplato), El-Salvadoro(あるいはElsalvadoro, Salvadoro), Los-Angxeleso (あるいはLosangxeleso), Algxero . (La, el、losはスペイン語の冠詞、Alはアラビア語の冠詞です)。
6月21日


382 Wennergren (64)



時間的区分の名称
月の名称(1月、2月、3月、Muharamo, 断食月、霧月など)は普通の固有名称です。だからそれらにはlaを付けません。全面的に、そのような名称に対する基本的なルールに従います(最初だけ大文字で書きます)(#35.5)。

Georgo Vasxington estis naskita la dudek duan de Februaro de la jaro mil sepcent tridek dua.
ジョージ・ワシントンは1732年の2月に生まれました。
Februaroは誰でも知っています。もしそれが普通の固有名称でな、必ずlaをつけつけます。

祝祭日の名前は(クリスマス、復活祭、聖霊降臨祭、アッシリアの最高神を祝うAsxuro など)は、たいていはla抜きのふつう固有名称と解釈されていますが、あるもの(たとえば、クリスマス)は事実上、普通名詞です。その用例にはバラツキがあります。

Al Kristnasko venis letero de sxia patro=Al la tiujara Kristnasko…
クリスマスに彼女の父親の手紙が来ました。

Post Asxuro li veturos al Teherano.=Post la cxi-jara Asxuro…
Asyuroのあと彼はテヘランに行くでしょう。

Cxi tio estas la legxo pri la Pasko.
これは復活祭に関する法律です。

週日(月曜、…日曜)は固有名称ではありませんが、しばしば固有名称的に、la抜きで使われます。
Dum la tuta semajno sxi estis malgaja kaj ploris multe da varmegaj larmoj; sed kiam venis la dimancx0, sxi diris: “Vere, nun mi suficxe suferis kaj luktis!”
まる1週間、彼女は悲しくて熱い涙をたくさん流しましたが、日曜が来たときに彼女は言いました:「本当に、私はこのところ、充分苦しんで戦ったわ!」

Hodiaux estas sabato, kaj morgaux estos dimancxo.
今日は土曜です、あすは日曜でしょう。
「土曜」と「日曜」は、ここでは日の種類に関する情報を伝えているだけですから、la抜きです。固有名称について語っているのではありません。

Mi intencas veni Bulonjon jxauxdon.
僕は木曜にブーローニュへ来るつもりです。
規定された周知の「木曜」は、固有名称的にla抜きです。

“Dimancxon ni nin vidos.” […] Venis la dimancxo.
「日曜にお目にかかりましょう」[...]  その日曜が来ました。
どちらも同じように誰でも知っている、同一の日曜が主題です。始めのはla抜きの、2つ目はlaのついた固有名称です。
6月22日



383 Wennergren (64)



季節((mateno, tagmezo, vespero, noktoなど)と1日の部分(mateno, tagmezo, vespero, noktoなど)は常に普通名詞であり、普通のルールに従ってlaをつけます。

En somero ni veturas per diversaj veturiloj, kaj en vintro ni veturs per glitveturilo.
=En somera tempo…en vintra tempo…
夏にはいろんな乗り物で旅行します、冬には橇で旅行します。

En la printempo la glacio kaj la negxo fluidigxas.
春には、氷と雪が溶けます。
この例は前のとまったくよく似ていますが,laがついています。一般に種類について言うときには、文体に応じてlaをつけたり、抜いたりします。「La-種類」(#9.1.4)を見てください。

Tiujn fabelojn ni auxskultos en vintro.=…en vintra tempo….en iu vintro.
その物語を僕たちは冬に聴きました。

Farigxis mateno.=Farigxis matena tempo.
朝になりました。

La nokton sxi pasigis cxe sia laboro.
その夜、彼女は自分の仕事で過ごしました。
確かな、周知の夜についての話です。したがって、laは普通名詞の基本的なルールに従って使われています。

Cxirkauxas min nokto≒Cxirkauxas min mallumo.
夜が僕をとり囲んだ。
ある文法家たちによれば、こういう単語は時として固有名称的に使われると言いますが、常に「時の種類」について話している文に関するハナシですから、そういう場合には常にla抜きです。


言語の名称
語尾oの言語(たとえば、Esperanto)は全く普通の固有名称です。だからla抜きが普通です(#9.1.5)。


略字の固有名称
普通の単語から作られた略語は、たいてい普通の固有名称(la抜き)とされます。しかし、用例には大きいバラツキが見られます:

Mi trovis tiun vorton en (la) Plena Illustrita Vortaro.
→ Mi trovis tiun vorton en PIV.
僕はその単語をPIVで見つけました。
Spell outするときには、laをつけることも可能ですが、略称にはつけません。

Tiujare la Universala Kongreso denove estos ekstereuxropa.
→ Tiujare (la) UK denove estos ekstereuxropa.
今年も世界大会はヨーローパ圏外でしょう。
大会の略称は時としてla抜きの普通固有名称として扱われますが、spell outするときにはlaが必要です。

Cxu vi estas membro de Universala Essperanto-Asocio?
→ Cxu vi estas membro e UEA?
貴方はUEAの会員ですか?
理論的には, 主単語が普通名詞ですから、laをつけるところですが、この非常によく知られている名称では、la抜きが普通です。略称には決してつけません。
6月23日



384 Wennergren (65)



9.2 Aliaj difinilojその他の規定詞
定冠詞la(#9.1)の他に規定詞としては、所有代名詞、分数のunu、相関詞のU, A, ES、助辞ambauxもあります。cxi(#14.1.2)が出てくるときには、時として規定詞tiuの存在がが考えられます。このときには、まるでcxi自身も規定詞になるようです(#14.1.2)。

所有代名詞
所有代名詞(#11.2)はmia, nia, via, lia, sxia, gxia, ilia, onia, sia(そしてciaも)です。所有代名詞が名詞の記述として使われる場合には、それは規定詞でありlaは付けません(#9.1.1)。
所有代名詞は所有者に関する情報を伝え、それは規定の表現として充分な情報です。もし所有代名詞がde表現によって置き換えできる場合には, laをつけるのが普通です:
ilia cxambro=la cxambro e ili, mia edzo=la edzo de mi:
彼らの部屋、私の夫:

Mia domo estas granda.=La domo, kiu apartenas al mi, estas granda.
僕の家は大きい。

Viaj sxtrumpoj estas malpuraj.=La sxtrumpoj, kiuj apartenas al vi, estas malpur.aj.
あなたのストッキングは汚い。

Li detruis sian sanon.=Li detruis la sanon, kiun li havas.
彼は健康を害した。

しかし時として、とくに所有代名詞を含む句が動詞記述として現れる場合には(#25-1),
その意味が不確定であり得ます。
Tiuj cxi sinjoroj estas miaj amikoj.
この方々は僕の友人です。
「この方々」は、聞き手が知っている「僕の決まった友人たち」か、あるいは単純に「僕の友人たち」というカテゴリーに属している人々か、はっきりしません。こういう文では、文脈から判断するしかありません。ハッキリさせるためには、
…estas amikoj de mi. あるいは、…estas la amikoj de mi. と言えます。

聞き手の知らない、ある特定の人について言う場合には、unuを使えます。
Unu mia amiko estas Anglo.
僕の一人の友人はイギリス人です。
Unu el miaj amikoj estas Anglo.
僕の友人たちのなかの一人は、イギリス人です。

規定性を消すために、所有代名詞の後置を試みる人たちもいます:
Amiko mia estas Anglo.
僕の友人はイギリス人です。
「真の規定詞は常に名詞の前にくる」のですから、この文はとにかく理屈には合っています。しかし、こういう文例は一般には受け入れられませんし、「慣例的でない語順が非規定の意味示す目的」で使われていることを、誰も理解しません。だから普通には先にあげたような、ヨリ明白な表現様式を使うべきです。
6月24日

380 Wennergren(69)

ブルーベリーの花4月27日
380 Wennergren(69)



相関詞:U, A, ES
相関詞之U, A, ES (#15) は規定詞です:
kiu, tiu, iu, cxiu, neniu,
kia, tia, cxia, nenia,
kies, ties, ies, cxies, nenies.
そこで、これらの相関詞と共にlaを使ってはいけません。

Ambaux
ambaux(#15.5)は、それが直接に待石を記述するときには規定詞です。だから、ambaux
と共にlaを使ってはいけません。

固有名称の前のその他の規定詞
ふつうの固有名称の前にはlaをつけないのが普通です(#9.1.6)。しかし、すべての固有名称の前に他の規定詞が見られます。でも、そういう表現が必要な場合は稀です。
Kaj vi ankaux, mia Francisko, vi ankaux?
そして君も、フランツィスコ、君も?
Miaは友好的なニュアンスを加えます。

Cxu vi sentas teruron antaux tiu Karolo?
君はあのカロロの前で恐怖を感じますか?
Tiuは、今言ったばかりのカロロが話題だということを強調しています。

Ambaux Pjotr Ivanovicx’oj alkuras sur la pintoj de la piedoj.
2人のピョートル・イヴァノヴィチが、爪先立ちで駆け寄ります。
同じ名前の2人の男が話題です。


9.3. 2つ以上の規定詞
ふつうの文では、2つ以上の規定詞は使わないのが普通です(#9)。他の規定詞と一緒にla を使わない(#9.1)ことはとくに大切です。しかしこの基本ルールは100%絶対的ではありません。時には、特別な意味を示すために2つの規定を使うことが必要です。
所有代名詞と一緒に、時として相関詞U, ambaux, あるいはunuが使われます:

El cxiuj miaj infanoj Ernesto estas la plej juna.
僕のすべての子供の中でErnestoが一番若い。

Mi perdis cxiujn miajn fortojn.
僕はすべての力を失った。

Ambaux liaj manoj estis malpuraj.
彼の両手は汚れていた。

Venis tiuj niaj amikoj, kiuj povis.
来られた僕らの友人たちは、来ました。

Iu mia amiko devas veni.
友人の誰かが来るに違いない。
Iuは、miaのもつ規定の意味を無くします。

Unu mia amiko venis, nome Ernesto.
Ernestoという名前の、僕の1人の友人がやって来ました。
Unuはmiaの持っている規定的な意味を取り去り、代わりに半規定的な意味を示しています。
Cxiujとambauxは所有代名詞と共に頻繁に出て来ます。確かに、それらはelと共に文を構成します。
Venis tiuj el miaj amikoj, kiuj povis. Iu el miaj amikoj devas veni. Unu el miaj amikoj venis, nome Ernesto.

もし所有代名詞が後置の名詞なしに単独で使われる場合には、それは規定の意味を失い、必要に応じてlaをつけます。
Mi vidis grupon de personoj, kaj cxiuj tiuj personoj parolis Essperanton.
僕は一団の人々を見ました、その全員がEsperantoを喋りました。

極端な場合には、ダブル規定詞としてcxiuj tiesを使えます。
La infanoj ne povis sidi sur la segxoj, cxar cxiuj ties kruroj estis rompitaj.
子供達は椅子に座ることができませんでした。なぜならすべてのその脚が壊れていたからです。
次の文の方がベターです:
…cxiuj el ties kuroj…あるいは、…cxiuj kuroj de la segxoj….
もし、cxiuj iliaj kuroj……と書けば、「子供たちの脚」が主題になります(#15.4)。

時には、cxiuj tiajをダブル規定詞として使えます:
Ekzistas tiaj homoj, kiuj malamas Esperanton. Cxiuj tiaj homoj scias tro malmulte pri
gxi.
Esperantoを憎む人たちが居ます。すべてのこういう人たちは、それについて余りにも少しの知識しかありません。

ambaux tiujと ambaux tiesも可能です:
Mi vidis du personojn. Ambaux tiuj personoj parolis Esperanton.
僕は2人の人物を見ました。そのどちらの人もEsperantoを喋りました。

La infano ne povis uzi la biciklon, cxar ambaux ties radoj estis difektitaj.
その子は自転車を使えませんでした。なぜならその両輪ともが壊れていたからです。
6月28日

380 Wennergren (62)

168 キューバのエネルギー節約(1)
380 Wennergren (62)



Titoloj肩書
固有名称の前にsinjoro, sinjorino, ftauxlo, frauxlino, doktoro, profrsoroなどの肩書が使われます。固有名称の一部のような、こういうモノを肩書と言います。肩書の前にはlaを使いません。
Li fiancxigxis kun frauxlino Berto.
彼はBerto嬢と婚約しました、
la frauxlino Bertoとは言いません。

Doktoro Zamenhof kreis Esperanton.
Zamenhof博士はEsperantoを創りました。
La doktoro Zamenhofとは言いません。

Sinjorino Zminska hieraux multe parolis al mi pri vi.
Ziminskaさんは昨日、貴方についてたくさん僕に話されました。

Sekve barono Brambeus estas vi?
したがって、貴方はBrambeus男爵ですか?

普通の規則では、主単語(肩書)が普通名詞ですから、前に冠詞をつけなければいけないのですが、肩書は別の規則に従います。
肩書はあたかも固有名称の一部であるかのようですから、大文字で書きはじめることができます:

El la tri leteroj unu estis adresita: al Lia Episkora Mosxto, Sinjoro N.; la dua: al Lia Grafa Mosxo, Sinjoro P.; la tria: al Lia Mosxto, Sinjoro D.
3つの文字のうちから、1つは大司教猊下・N様に、2つ目は伯爵閣下・P様に、3つ目はD閣下に送られました。

しかし実際には、大文字で書き始めることは稀です。  
固有名称の前につくのは肩書だけではありません:

La doktoredzino A. vizitis hodiaux la gedoktorojn P.
ドクターの妻Aは今日、男女ドクターたち・Pを訪問しました。

doktoredzinoとgedoktorojという表現は、別の時には真の肩書きであり得ますが、此処での目的は、名前をAとかPとか略語化された人々が主題であることを伝えることです。話者が全体を固有名称であるかの如くに感じさえするならば、肩書が主題になります。
もし肩書などの前置きが、形容詞のような直接記述をもっておれば、それはもはや肩書ではありません(その形容詞自体が肩書の一部である場合を除きます。滅多にないことですが)。

Li fiancxigxis kun la juna frauxlino Berto.
彼は若いBerto嬢と婚約しました。

La genia doktoro Zamenhof kreis Esperanton.
天才的なドクターZamenhofはEsperantoを創りました。
6月20日

378 Wennergren (60)

355 PMEG(37)
378 Wennergren (60)



固有名称としての普通の名詞
固有名称になった普通の単語の前には、それ自体がユニーク性を持っていないので、laをつけるのが普通です。

Li kreis la Grandan Ursinon, Orionon, kaj Plejadojn.
彼は大熊座、オリオン座、スバル(散開星団)を創りました。
3つの星座の固有名称です。3つともユニークです。後の2つは普通の固有名称で、laはつけません。しかし最初の大熊座は普通単語から構成されており、laが必要です。

Kaj tiam la Nokto diris: “Tenu vin dekstre kaj eniru en la malluman pinarbaron, mi vidis, ke tien foriris la Morto kun via malgranda infoano.
「夜」と「死」は、童話の中で固有名称を持っている人間のような役を演じています(大文字がそれを示しています)が、どちらも普通名詞ですからlaが必要です。

En unu el la domoj de la Orienta strato en Kopenhago, proksime de la Nova Regxa Bazaro, estis iam granda gastokunveno.
KopenhagenのOrient通りにある家々の中の、「新国王バザール」の近くにある1軒で、招待客たちの大きい集会が、かつてありました。
普通単語から構成された2つの固有名称があり、laがついています。3つ目の名前Kopenhagoは普通の固有名詞ですからla抜きです。

La plej suda parto de la Afrika kontinento estas la Bonespera Kabo.
アフリカ大陸の最南部は喜望峰です。
しかし、とくに広く知られている名称には、laをつけないことがあります。laをつけるか否かについては、統一見解はありません。

Cxu vi estas membro de (la) Universala Espernato-Asocio?
あなたは、世界Esperanto協会の会員ですか?
laをつけてもいいのですが、つけないのが普通です。よく知られているからです。しかし、こういう名称の略語は、たいていla抜きです。

6月18日

377 Wennergren (59)

351 PMEG(33)
377 Wennergren (59)



同じ名前の複数の物からの選択ではなくて、関連事項の部分に関する場合には、形容詞記述があっても、laをつけないのが普通です。

Esxvajlero situas en meza Rejnlando en Germanujo en meza Euxropo.
Esxvajleroは中央ヨーロッパ、ドイツの中央Rejnlandoにあります。
複数のRejnlandoあるいは複数のヨーロッパを論じているのではなくて、Rejnlando中央部とヨーロッパ中央部が主題です。

En orienta Azio multaj landoj evoluas tre rapide.
=En la orienta parto de Azio…
東アジアでは多くの国が急速に発展しています。

ふつうの固有名称の直接記述が形容詞でなく、他の種類の記述である場合には、la抜きが普通です。 ただ、その記述が複数の同名個体間の区別を強調するための場合であれば、それをハッキリ示すためにlaを使うことができます。

Tio estis Kristino el la erikejo.
それはヒースの生えた荒れ地から来たKristinoでした。
el la erikejoはKristinoという名前の直接記述ですが、A単語(形容詞)ではありません。

Mi ekskribos pri cxio al Triapicxkin en Peterburgo.
僕はすべてについて、PeterburgのTriapicxkinに書きはじめるでしょう。

Pasinyjare mi vizitis Berlinon, sed ne la Berlinon de Germanio. Mi vizitis unu el la multaj Berlinoj en Usono.
去年、僕はBerlinを訪問しましたが、ドイツのBerlinではありません。僕が訪ねたのは米国にある多くのBerlinのなかの1つです。
ここでは同じ名前の複数の都市のあいだの区別が主題ですから、laが必要です。

Mi dauxre revas promeni tra la Parizo de 1900.
1900年のパリの街を散歩することを、僕はずっと夢見ています。
話者は、いまのパリと別の街であるかのように、当時のパリについて考えています。

形容詞記述自体が固有名称の部分である場合には、la抜きが普通です。
Norda Ameriko konsistas el du landoj, Usono kaj Kanado.
北アメリカは2つの国、米国とカナダから成ります。
その大陸はNorda Ameriko(るいはNord-Ameriko)と呼ばれており、この形容詞は名前の部分です。

Sankta Petro. Sankta Johano.
聖ペトロ、聖ヨハネ。
聖人たちのこういう名前では、Sanktaという記述は名前の一部であり、laはつけません。しかし、Zamenhofの用例にlaが附いている場合があります。聖人の名前にlaがついているときには、その聖人に即して名づけられた祝祭日、教会などが主題であることがあり得ます。
la Sankta Bartolomeo=”la pregxejo de Sankta Bartolomeo”.「聖バルトロメオ教会」
6月17日

376 Wennergren (58)

毒だみ 6月3日
376 Wennergren (58)



直接的な記述を伴う名前
ある場合には直接記述のように、普通の固有名称に形容詞がついています。もしその形容詞が固有名称の一部でなければ、普通名詞に関する主題であるかのように、laをつけるのが普通です。とくに、同じ名前をもつ複数のモノの間での選択(実際の、あるいは見かけ上の)が行われる場合にそうします。

Duoble montrigxis la bildo de Venero, de la sutera Venero.
ヴィーナスの画像が2度、現れました。地上のヴィーナスの画像が。
ヴィーナスは女神の固有名称です。最初にヴィーナスは、ふつうの固有名称に関する基本的なルールに従って、la抜きです。つぎは直接記述surtera(地上の)が来るので、laをつけなければなりません。あたかも天上のヴィーナスと地上のヴィーナスの、2人の異なるヴィーナスが居るかのように提示されるのです。

La malgranda Janjo per largxa malfermitaj okuloj rigardis la murojn.
小さいヤーニョちゃんは、大きい開かれた眼で、壁を見つめました。

Cxiuj konas Londonon, la cxefurbon de Brito, sed me cxiuj konas la aliajn Londonojn en Usono kaj Kanado.
Londonoは、それ自体が明確に規定されていますからla抜きです。しかし、la aliaj Londonojという表現には、aliajという記述があります。だからlaが必要です。すべての他のLondonojについて語られているからです。

Multaj vizitis Londonon, la cxefurbon de Brito, sed mi vizitis ankaux aliajn Londonojn.
多くの人がイギリスの首都Londonを訪問しました。しかし僕はまた別のLondonを訪ねました。
このLondonにも記述がありますが、laは付けません。すべての他のLondonを意味していないからです。そして聞き手はまた、どのLondonに関してのことか、正確には知ることができないからです。

Tio cxi estas ne stilo de bona Esperanto, sed stilo de malklara homo.
これは良いEsperantoのスタイルではなく、不明瞭な人間のスタイルです。
ここにlaがないのは、bona Esperantoがある確かな言語を同定すために使われているのでなく、言語の種類について話すために使われているからです。
6月16日

374 PMEG(56)

356 PMEG(38)
374 PMEG(56)



簡潔な言葉づかい 
詩や格言・諺では、非常に短い文が望まれるので、時としてlaを抜きます。
Al cxevalo donacita oni busxon ne esploras.
贈られた馬の口を人は調べません。
Busxon=la busxon, gxian busxonその口


引用
それ自体、ふつうの文の役割は持っていないが、何かから引用された単語の前にlaをつけることがあります。Laはこの場合、引用の前の、文脈から推測される名詞に関係しています。
La “tuj”de sinjoroj estas multe da horoj.
この人たちの「すぐ」は、多大の時間だ。
=La vorto”tuj”signifas por sinjoroj “multe da horoj”.
 「すぐ」という単語は、この男たちにとっては、「多くの時間」を意味している。
引用については、さらに#36を読んでください。


9.1.6 固有名詞とLa
固有名詞(#35)でのlaの使い方は、残念ながらやや複雑で、明確には決められていません。
普通にはlaをつけない普通の固有名詞と、普通にはlaをつける「固有名詞としての名詞」
が区別されます。
多くの学習書に、「固有名詞の前にはlaをつけない」 と書いてあるのは簡単すぎて、正しくありません。
固有名詞にはその他の規定辞difiniloj も使われます(#9.2)。
6月14日

356 PMEG(38)
372 PMEG(54)



時にはplejが何かユニークなものを示さないこともありますが、最高度の存在あるいは様式を示しています。その場合にはlaを使いません。

Ecx vulpo plej ruza fine estas kapata.
最も狡猾なキツネさえ、最後には捕えられます。
ある既知のキツネが主題ではありませんが、どれか最高に狡猾なキツネが話題になっています。

Li ekauxdis bruan tonon, kiu povis ektimigi la koron ecx de plej kuragxa viro.
彼はうるさい音を耳にし始めましたが、それは最も勇敢な男の心臓さえ縮ませ得るものでした。
特定の勇敢な男が主題ではありませんが、最も勇敢な男たちのカテゴリーに関するハナシです。

Cxiuj floroj brilis en plej belegaj koloroj.
すべての花は最高に美しい色に輝いていました。
色の種類が主題です。もしlaをつければ、最も美しい当該の色が主題になり、話者は「聞き手がそれらの色を正確に知っている」と想定している状況になります。

Li estas plej laca en la mateno.
彼はその朝、とても疲れています。
多様な人々の間の比較が主題ではありませんが、同一人での多様な時間帯での多様な疲れ方の間の比較が主題です。

Kiu venas plej frue, sidas plej gxue.
一番早くに来る人が、一番楽しく座っています。
plejは名詞の前でなく、副詞の前に置かれています。

Sxi hontis siajn larmojn kaj deziris kasxi ilin kiel eble plej rapide.
彼女は自分の涙を恥じて、でき来るだけ速く、涙をかくそうとしました。

Laはplejの前にしばしば置かれたので、何か本当に既知の或いはユニークなものが主題でない時でさえ、しばしば習慣的にla plej…と使われています。

Por vi mi en la plej malluma nokto irus al la fino de la mondo.
あなたの為なら、僕は最高に暗い夜中でも、世界の果てまで行きますよ。
特定のユニークな夜が主題ではありませんが、どの最高に暗い夜でも、というハナシです。
laのない方がbetterでしょう。

Zamenhofでさえ、la plejを副詞の前で使いました。
Malsupre en la domo estas la plej bele kaj tie oni sin sentas la plej opportune.
家の下の方は最も美しく、其処で人々は最も都合よく感じています。
Zamenhofは、複数の美しさと便利さの間の比較が主題なので、plejを使いました。だから家の中にはすべての美しさの中の最高の美があり、すべての便利さの中の最高の便利があるのです。しかし今は、副詞にはlaを使わない方が好まれています。
6月12日

371 PMEG(53)

351 PMEG(33)
371 PMEG(53)



Plejとmalpleiの前のLa
plejあるいはmalplej(#14.3.15)が文中に在るときには、何かユニークなモノが主題であり、laが使われます。

La malfelicxa infano forkuris kaj kasxis sin en la plej proksima arbaro.
その不幸な子どもは逃げて、一番近くの木に隠れました。

Li estas tre kredema: ecx la plej nekredeblajn aferon, kiujn rakontas al li la plej nekredintaj homoj, li tuj kredas.
彼は非常に信じやすい人です。最も信じるに値せぬ人たちが語る、最も信じられない事でさえ、彼はすぐに信じます。

El cxiuj miaj infanoj Ernesto estas la plej juna (infano).
私のすべての子らの中でErnestoは一番年下です。

Kelkaj homoj sentas sin la plej felicxaj (homoj), kiam ili vidas la sferojn de siaj najbaroj.
若干の人々は、隣人たちの領域を見て、自分たちを最も幸せだと感じています。

もし2人の個人、あるいは2つのグループの間の比較が主題なら、la plej(あるいは la malplej)の代わりに、la pli(あるいはla malpli)を使います。

Una vidvino havis du filinojn. La pli maljuna (filino) estis tiel simila al la patrino per sia karaktero kaj vizagxo, ke cxiu, kiu sxin vidis, povis pensi, ke li vidas la patrinon.
1人の寡婦が2人の娘を持っていました。一番年下の娘は性格と顔立ちが母親そっくりだったので、彼女を見た各人は、その母親を見ていると考えることがあり得ました。
Cxu tiam via plej agxa filino ne havus la devon subtenadi la ekzistadon, zorgi pri la edukado kaj bona direktado de la malpli agxaj gefratoj?
あなたの長女は、年下の弟妹の生存を支え, 教育と良き指導に関して気配りする義務を持っていないのですか?
一方では長女、他方では彼女の年下の弟妹全員、との間の比較が行われています。
6月11日

の御教示、いつもながら有難うございます。英文法の冠詞や複数の所に出てくる「集合」だろう、と身近の人が教えてくれましたが、「一定量の水」の方が理解しやすいと思います。

371 PMEG(53)



Plejとmalpleiの前のLa
plejあるいはmalplej(#14.3.15)が文中に在るときには、何かユニークなモノが主題であり、laが使われます。

La malfelicxa infano forkuris kaj kasxis sin en la plej proksima arbaro.
その不幸な子どもは逃げて、一番近くの木に隠れました。

Li estas tre kredema: ecx la plej nekredeblajn aferon, kiujn rakontas al li la plej nekredintaj homoj, li tuj kredas.
彼は非常に信じやすい人です。最も信じるに値せぬ人たちが語る、最も信じられない事でさえ、彼はすぐに信じます。

El cxiuj miaj infanoj Ernesto estas la plej juna (infano).
私のすべての子らの中でErnestoは一番年下です。

Kelkaj homoj sentas sin la plej felicxaj (homoj), kiam ili vidas la sferojn de siaj najbaroj.
若干の人々は、隣人たちの領域を見て、自分たちを最も幸せだと感じています。

もし2人の個人、あるいは2つのグループの間の比較が主題なら、la plej(あるいは la malplej)の代わりに、la pli(あるいはla malpli)を使います。

Una vidvino havis du filinojn. La pli maljuna (filino) estis tiel simila al la patrino per sia karaktero kaj vizagxo, ke cxiu, kiu sxin vidis, povis pensi, ke li vidas la patrinon.
1人の寡婦が2人の娘を持っていました。一番年下の娘は性格と顔立ちが母親そっくりだったので、彼女を見た各人は、その母親を見ていると考えることがあり得ました。
Cxu tiam via plej agxa filino ne havus la devon subtenadi la ekzistadon, zorgi pri la edukado kaj bona direktado de la malpli agxaj gefratoj?
あなたの長女は、年下の弟妹の生存を支え, 教育と良き指導に関して気配りする義務を持っていないのですか?
一方では長女、他方では彼女の年下の弟妹全員、との間の比較が行われています。
6月11日

370 PMEG (52)

毒だみ 6月3日

370 PMEG (52)



cxiujの代わりのLa
誤解の起こらない場合には、cxiujの代わりにlaを使えますが、laを同じようにcxiujとして使うことはできません。

La gastoj eksidis cxe la tablo≒Cxiuj gastoj eksidis…
客は全員がテーブルに座りました。
客には誰も欠けた者が居なかった、という意味でcxiujが使われています。La gastojでは客の誰かが欠けているかもしれませんが、それは重要ではありません。

Cxi-vespere la Angloj prezentos teatrajxon en la kongresejo.
今晩、大会会場でイギリス人たちは劇を上演するでしょう。
La Angloj≒cxiuj Angloj
しかし、「大会」という状況はcxiuj Angloj(すべてのイギリス人)の意味を制限しています。(多かれ少なかれ)その大会に参加するすべてのイギリス人に関するハナシであり、世界のすべてのイギリス人に関するハナシではありません。
一般に、種類について語るときには(#9.1.4)、しばしばlaは、多かれ少なかれcxiuあるいはcxiujと同等です。

言語名称の前のLa
Laは、形容詞プラスlingvo(しばしば文脈から読み取れるので、省略されますます)から成る言語名称の前に使われます(#35.4)。ある言語は唯一・独特なものだと考えられていますので、laが使われるのです。

La Angla (lingvo), la Cxina (lingvo), la Nederlanda (lingvo)など。1つだけの英語、1つだけの中国語が実在します(実際には、当該言語にはしばしば多くの方言がありますが、ふつう、それらは無視されます)。
しかし、固有の名詞・名称をもっている少数の言語niはlaを使いません。
たとえば、Esperanto, Latino, Sanskrito, Ido, Volapukoなど。.
6月10日

369 PMEG(51)

ブルーベリーの花4月27日
369 PMEG(51)



9.1.5. La 特別な用例
代名詞の代わりとしてのLa
所有者が誰であるか明白ならば、所有代名詞の代わりにlaを使う(#11.2)ことがしばしばあります。身体部分や親族について語る場合には、普通laが好んで使われます。

Li levis la kapon.=Li levis sian kapon.
彼は頭を持ち上げました。

Mi montris per la fingro, kien li iru. =...per mia fingro
僕は指で、彼が何処へ行くかを示しました

Sxi lavis al si la piedojn.=Sxi lavis siajn piedojn.
彼女は両足を洗いました。

La vojkamarado balancis la kapon kaj estis tre malgxoja.=...balancis sian kapon…
その道連れは頭を縦に振り、とても悲しんでいました。

Cxu Karlo venis kun la patro?=…kun sia patro?
Karloは父親と一緒に来たのですか?

Diru al la patro, ke mi estas diligenta.
父に、僕は勤勉だと言ってください。
La patro=mia patro (話者の父)
しかし、laなしで、まるで固有名詞のようにPatroとPatrino(Pは大文字)がよく使われます。家族内ではこのように話すことがしばしばあります。もし話者と聞き手が同じ家族なら、
Diru al Patro, ke mi estas diligenta.
となるでしょう。
自分の両親に関して話すときには、愛称pacxjo(#38.2.6)、panjo(#38.2.25)は常にlaなしで使われます。
Diru al Pacxjo/pacxjo, ke…
6月9日

368 PMEG(50)

355 PMEG(37)
368 PMEG(50)



Speco presentata multe-nombre多数で提示される種類
数えられるモノが主題のときには、多数詞で種類を表示できます。種類について語るとき、単数と多数の差異は重要でないことがよくあります。

Leonoj estas bestoj.=Leono estas besto.
ライオンは動物です。

Rozoj estas floroj kaj kolomboj estas birdoj.
バラは花です、そして鳩は鳥です。

Angloj gxnerale parolas pli malrapide ol Hispanoj.
イギリス人は一般にスペイン人よりゆっくり喋ります。

Ursoj trovigxas kaj en Euxropo kaj en Ameriko.
熊はヨーロッパとアメリカに居ます。

Gitaroj estas instrumentoj kun (po) ses kordoj.
ギターは6弦の楽器です。

Cxevaloj estas pli utilaj ol hundoj.
馬は犬より有用です。

しかし、Karlo estas kuracistoj. とは言えません。Karloは1人だけの人であり、彼が複数のkuracistojであることはできません。
そのすべての種類がとくに主題である時に、多数詞にlaをつけることもあり得ます。しかし、名詞が動詞を使った記述の役割をしているときには、決してできません。

La leonoj estas bestoj. しかし、La leonoj estas la bestoj.とは言いません。
ライオンは動物です。

La rozoj estas floroj kaj la kolomboj estas birdoj.
バラは花です、そして鳩は鳥です。

La Angloj gxnerale parolas pli malrapide ol la Hispanoj.
イギリス人は一般にスペイン人よりゆっくり喋ります。

La ursoj trovigxas kaj en Euxropoj kaj en Ameriko.
熊はヨーロッパとアメリカに居ます。

La lupoj estas formortantaj en Euxropo.
狼はヨーロッパで死滅しつつあります。
すべての動物の種類に関して明らかな話です。この場合にはlaなしのlupojはは不適当です。

La gitaroj estas instrumentoj kun (po) ses kordoj.
ギターは6弦の楽器です。

La cxevaloj estas pli utiloj ol la hundoj.
馬は犬より有用です。
6月8日

367 PMEG (49)

356 PMEG(38)
367 PMEG (49)



Speco kvazaux konata individuoまるで個体のような種類
時として、1つのイメージ的な既知の個体として種類をあつかい、laを使います。公式文書や哲学的なスタイルによく使われます。こういう場合、すべての種類について主題がハッキリしています。

La gitaro estas tre populara instrument.
ギターはとてもポピュラーな楽器です。
まるで1つの確実に知られている楽器に関して語っているようです。
Gitaro estas…という表現も可能です。

La kato preferas varman klimaton.
猫は暖かい気候を好みます。
1つの動物の種類を、既知の個別的な動物のように表現しています。
Kato preferas…という表現も可能です。

La urso trovigxas kaj en Euxropo kaj en Ameriko.
熊はヨーロッパとアメリカに見られます。
この言い方は、1頭だけの熊に関してはできません。したがって、
Urso trovigxas kaji en Euxropo kaj en Amerika. とは言えません。

La lupo estas formortanta en Euxropo.
狼はヨーロッパで絶滅しつつあります。
すべての動物種が消えつつあります。だから
Lupo estas formortanta en Euxropo, と書くことはできません。
しかし、もし「すべての狼の全体に関して」考えているのなら、その場合にだけは
この表現も可能です。

Kian profiton havas la homo de cxiuj siaj laboroj, kiujn li laboras sub la suno?
太陽の下で働いているすべての人の労働から、人類はどんな利益を得ているのでしょうか。
la homo=各人、人人、全人間、人類

La sagxulo havas siajn okulojn en la kapo, kaj la malsagxulo iras enくmallumo.
賢者は頭の中に眼を持ち、愚者は闇の中を歩く。
La sagxulo=すべての賢者。  la malsagxulo=すべての愚者

En la printempo la glacio kaj la negxo fluidigxas.
春には氷と雪が溶ける。
la printempo=すべての春

La invento de la rado revolucis la mondon.
車輪の発明は世界を急激に変えました。

もしこのように、laを使って種類を表現するならば、有効な個体について語っているのか、あたかも個体のように種類に関して語っているのか、混同せぬように注意せねばなりません。
もし名詞(O-vorto)が動詞記述(proverba priskribo)として使われ、主題が種類だけに関している場合には、決してlaを使いません。
Karlo estas advokato.
Karloは弁護士です
もし、Karlo estas la advokato.と言えば、Karloは、貴方の知っているあの弁護士だ、あるいは、Karloは、我々が今話している当の弁護士だ、という意味になります。
6月7日

366 PMEG (48)

ブルーベリーの花4月27日
366 PMEG (48)



9.1.4. La - specoj la-種類
種類について言うために、何かが「どのようであるか」を言うために、名詞がよく使われます。いろんな使い方があります。laなし、laつき、単数あるいは複数で。
場所により、文体(スタイル)により、どの様式も使えます。

Speco kvazaux nekonata individuo未知の個体であるかのような種類
種類についていうときには、規定詞を使わないのが普通です。種類を、あたかも1つの未知の個体であるかのように、あるいはその同定が重要でない個体であるかのように扱います。
発言内容がその種類のすべてに関して、あるいはその種類の個々のモノに関して妥当である時には、規定詞なしに種類を提示します。

Leono estas besto.
ライオンは動物です。
ライオンは植物などでなく、多くの動物種類の中の1つであると言いたい場合です。すべてのライオンに関しても、個々のライオンに関しても妥当です。

Rozo estas floro kaj kolombo estas birdo.
バラは花です、そして鳩は鳥です。
種類が主題であり、個別の記述ではありません。

Karlo estas kuracisto.
Karloは医者です。
Kuracistoという単語は同定には役立ちませんが、Karloがどんな職業についているかを示しています。

Elizabeto estas patrino de tri infanoj.
Elizabetoは3人の子の母です。
patrino de tri infanojは、Elizabetoが誰であるかを示すためにではなく、彼女がどんな人であるかを伝えています。

Tio estas sxtono.
これは石です。
これが個別的な石だと言いたいのではなくて、ソレが石の種類に属していることを言いたいのです。

Gitaro estas instrumento kun ses kordoj.
ギターは6弦の楽器です。
一般的に、楽器の種類について語っているのです。

Vi vere logxas en bela apartamento!
君はほんまに綺麗なアパートに住んどるな!
bela apartamentoはアパートの同定でなく、住居がどんなかを示しています。

Akvo bolas je cent gradoj.
水は1oo度で沸騰する。
水のkolektoに関する話ではなくて、一般的に水という物質についての話です。

Cxevalo estas pli utila ol hundo.
馬は犬より有用です。
動物の2つの種類が主題です。
6月6日

365 PMEG(47)

365 PMEG(47)



Gxenerale konata, unika 一般に知られた、ユニークな
非常にユニークである、その種の中で1つしかない、あるいは傑出している、特別であるという理由で、知られている事物があります。

La cxielo estas blua.
空は青い。
万人が空の存在を知っています。だからそれを単純にla cxieloという事ができます。

La suno brilas.
大陽が輝いています。
多くの太陽がありますが、もちろん、我々の惑星の太陽が主題です。我々の太陽の固有名(#9.1.6)としてla Suno(大文字で)ともよく書かれます。

La filo de la regxo sxin renkontis.
王様の息子が彼女に出会いました。
「当該国に王様が居ることを聞き手は知っている」と、話者は想定しています。laを使う場合には、聞き手はまさしくその王様が主題であることを理解しています。聞き手がひょっとしたら、その王様に何人の息子が居るのか知らないかもしれません。しかし話者がla foloと言うので、聞き手は王の息子が1人だという事(あるいは、注目に値する息子は1人だけだということ)、そしてまさしくその息子が彼女に出会ったことを了解できます。

La prezidanto de Usono diris, ke…
米国の大統領が~と言いました。
聞き手が「米国には大統領が1人居る」ことを知っていると、話者は想定しています。
だから彼を単純にla prezidanto de Usonoと表現できたのです。もしlaなしでprezidanto
と言ったら、聞き手は「既存の米国大統領たちの誰か」のハナシだと理解するでしょう。しかし現大統領でないことは確かです。もし現大統領なら必ずlaがつくからです。

La Euxropanoj ekkonis Amerikon en la dek-kvina jarcento.
欧州の人々は、アメリカを15世紀に知り始めました。
ヨーロッパの人々が実在することは誰もが知っていると考えられます。また15世紀の存在も皆が知っていると考えられます。もししかし、聞き手がヨーローパ人を知らなかったら、彼はlaによって、1つのこういう集団が実在すること、そして彼らの全員が(多かれ少なかれ)話題になっていることを知るでしょう。
6月5日

364 PMEG(46)

355 PMEG(37)
364 PMEG(46)



Nomata 名づけられた
frazpartoのあとに固有名詞の事物が来るとlaをつけるのが普通です、というのは固有名詞は普通、それを完全に同定しているからです。

Mi vojagxis al la urbo Parizo.
僕はパリの街へ旅行しました。
Parizoという名前は、その街を完全に同定しています。

La sufikso “um” ne havas difinitan signifon.
“um”という接尾辞は、規定された意味を持っていません。
“um”によって直接的に、どの接尾辞が主題であるのかが分かります。この接尾辞はあたかも"um"と呼ばれているようです。
記述としてのlaと固有名に関するこれ以上の詳細は、#9.1.6を読んでください。


Rekte vidata 直接に見られる
聞き手が直接にソレを見る、あるいは他の方法でソレに気づくために、事物が判明することがあります。
La domo estas vere bela.
その家は本当に美しい。
話者と聞き手の双方が、その家を見ているときには、このように言えます。

La floroj odoras tre bone.
その花々はとてもいい匂いです。
聞き手自身がそれらの花々を見ている、あるいは匂っているとき、したがってどの花が主題かすぐわかるときには、このように言えます。

Atentu pri la sxtono!
その石に注意!
聞き手自身がその石を見ることができる、あるいは少なくともすでに話者が、聞き手がその警告を見ているだろう、あるいはその石をチラと見ているだろうと、想定しています。

“Cxu vi vidas tie la grandan arbon?” diris la sorcxistino, montrante arbon, kiu trovigxis apud ili.
「其処にある大きい木が見えますか?」と魔女は、彼らのそばにある木を指しながら言いました。
どちらの場合も同じ木が主題です。最初は魔女が言います。聞き手はその木を見ることができます(その木を指さしさえ、します)。だから魔女はlaを使います。後でこの童話の作者は語りますが、laを使いません。読者は木を見ることができないからです。
6月4日

363 PMEG (45)

363 PMEG (45)



Plene priskribita 完全に記述された

当のテーマを完全に了解する記述をもつfrazpartoがあります。
Jen kusxas la cxapelo de la patro.
其処に父のその帽子があります。
de la patroという記述から、どの帽子が話題なのかがわかります。文脈から父の1つだけの帽子が存在していることが理解されます。もしlaを使わなければ、ソレ
が父のもっている多くの帽子の中の1つに過ぎないと、考えなければならないでしょう。多くの帽子の中の1つが父のものだ(一方、他の帽子は他の人たちのものだ)、そしていま話者はまさしくその帽子のことを語っているのだと、聞き手が知っているという事態もあり得ます。

Li sentis sin tiel malfelicxa, ke li malbenis la tagon, en kiu li estis naskita.
彼は自分を非常に不幸に感じたので、彼の生まれた日を呪いました。
en kiu li estis naskitaというsubfrazoは、どの日が話題になっているかをハッキリ説明しています。そういう日は1日しかあり得ません。

Por la hodiauxa tago mi ricevis uoblan pagon.
今日という日のために、僕は2倍の支払いを受け取りました。
hodiauxaという単語は、話題になっている日をハッキリ示しています。

La kanto de la birdoj estas agrabla.
鳥どもの歌声は快適です。
de la birdojという記述は、何の歌声がテーマなのかを示しています。la birdojとlaがついているのは、聞き手もたぶん鳥の歌声を聞いているだろうという事が分かっているからです。

Mi redonas al vi la monon, kiun vi pruntis al mi.
貸して下さっていたお金を、お返しいたします。
kiun vi pruntis al miというsubfrazoは、どういう金が話題になっているのかをハッキリ示しています。しかし、前に多くの借りがあった可能性はあります。その時にはlaをつけないのが普通です。この記述では貸し手を同定するには不十分だからです。また相手が貸しを忘れていた場合もあり得ます。もし話者がソレを知っていたら、laをつけません。

Tio estis la unua fojo, ke sxi nomis sxin sia filino.
彼女が彼女を自分の娘だと言及したのは、これが初めてでした。
unuaと ke sxi nomis sxin sia filinoという記述から、何度目かが話題であることが分かります。laがなければ、バカゲタ話ではありますが、そういう多くの「初めて」があったような事態になります。
6月3日

362 PMEG(44)

362 PMEG(44)



Nerekte menciita, divenebla直接的には言及されていなかったが推測可能な:

直接的には言及されていなかったが、前に言及されたことから理解できる、あるいは聞く人がその世界に関する必要な知識を持っているので理解できる、ということがしばしばあります。

Mi acxetis auxton, sed la motoro ne funkcias.僕は車を買ったが、エンジンがかからなかった。
車だけが出て来て、エンジン自体は前に言及されていませんが、車にはエンジンがついているのが普通ですし、聞き手はいま述べられた自動車のエンジンが話題だと理解できます。
gxia motoro(そのエンジン)ということもできますし、その方が一層ハッキリします。

Tie vi rimarkos tri pordojn. Vi povas ilin malfermi, la sxlosilo sidas en ili.
そこで3つのドアをご覧になるでしょう。それを開けることができます、鍵はドアについています。
始めに3つのドアが出てきます。ドアには錠のついているのが普通です。そして錠前には鍵がついているのが普通です。だからla sxlosiloと聞けば、今聞いたドア用の特別な鍵だと分かるのです。

Mi mangxas per la busxo kaj flaras per la nazo.
私は口でたべ、鼻で匂います。
聞き手は人間が話題であること、人には口と鼻があることを知っています。さからla busxoとla nazoは、mia busxoとmia nazoと同じです。laをつけなくてもいいかもしれませんが、その場合には、聞き手が「人間は口と鼻を持っていることを知っている」かどうか、話者が若干、疑っているかのように響きます。

Cxiuj sonoriloj de la pregxeja turo sonorvokis en la pregxejon, la homoj estis orname vestitaj kaj iris kun la kantolibro sub la brako, por auxskulti la predikon.
教会の塔のすべての鐘が教会の中へ鳴り響きました、人々は着飾って、讃美歌集を手にして、説教を聞くために進みました。
日曜日の村の話だという事だけがそれまでに分かっています。教会、塔、村民たち、賛美歌集あるいは説教について、この前には語られていません。しかし話者は、相手が「村には村民と塔のある教会があり、村民が日曜には説教のおこなわれる教会に讃美歌集を持って行くこと」を知っていると想定しています。だからla…ojの使用は,「貴方は日曜の村で、こういうことが起こることをご存じだ」と言っているかのように、相手に言っているのです。もし、そういうことを知らないかもしれぬ相手に語るときには、laを使わないでしょう。
6月2日

361 PMEG (43)

361 PMEG (43)



9.1.3. La- 既知のこと
さまざまに表現されます。

Antaue menciita以前の面識
前にすでに言及したので、知られていること。この場合、Laは以前にすでに言及されたことを、あらためて述べる、という意味で使われます。
laの不使用は、話の中に新しい人あるいは事物を導入することを意味しています。

Mi havas grandan domon. La domo havas du etagxojn.
私は大きい家を持っています。その家は2階建(ヨーロッパ式解釈では3階)です。
最初、聞き手はどの家の話をしているのか知りません。だから話者はlaを使いません。
後の文では、今言及した家だということを示すためにlaを加えます。もしここでlaをつけなかったら、聞き手は、「さっき聞いた家とは別の家だ」と考えなければなりません。

En tiu cxi skatola estas frukto. La frukto estas ronda.
この箱の中には果物があります。その果物は丸い形をしています。
最初、laのつかない果物は、初めて登場します。だから聞き手は、その箱の中に果物が入っていることを知ります。そのあと、話者が続けてその同じ果物について話すときには、laをつけます。

Mi havas tri infanojn. La infanoj ofte gxojigas min.
あたしは3人の子持ちです。この子らはしばしば私を楽しませてくれます。
Laは、すでに述べられた子供らについて、あらためて述べていることを示しています。

Sur la strato iris tri viroj. Ili aspektis kiel friponoj. Subite la tri friponoj malaperis en bankon. Sxajnis, ke la banko estas prirabota.
路上を3人の男が歩いていました。悪党どものようでした。突然その悪党どもは銀行のなかに姿を消しました。たぶん、あの銀行は襲われています。
はじめに3人の男に言及し、悪党に見えることを伝えた後では、彼らを単にla (tri) friponojということができます。la (tri) friponojというfrazpartoは、まさにこの3人の固有名詞のような役を果たしています。銀行にいちど言及したあとでは、それをla bankoと呼べます。

la をともなう同一事象について語るときには、同じ単語を正確に使う必要はありません。

Tre malproksime de cxi tie […] logxis regxo, kiu havis dek unu filojn kaj unu filinon, Elizon. La dek unu fratoj […] iradis en la lernejon kun stelo sur la brusto kaj sabro cxe la flanko.
ここからとても遠いところに住んでいた王様は、11人の息子と1人の娘Elizoを持っていました。その11人の兄弟は、胸に星、腰にサーベルをさげて、学校へ通っていました。
filojと初めに出てきましたが、後では彼らはla (dek unu) fratojと呼ばれて居ます。同じ者だということは問題なく理解されます。
6月1日
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