
354 PMEG(36)
Bertilo Wennergren
8.2.4 数: 特別な場合
結合辞aux(#16.2)は、ふつうには排他的・独占的な意味を示しますが(二者択一の中の1つでなければなりません)、時には内包的(同時に複数の選択肢が有効)です。複数のものがauxで結ばれるときには、語尾Jの使用は意味に左右されます。
Karlo aux Petro estas kulpa.カルロかペトロが有罪だ。
1人だけが有罪です。
Aux la Angloj aux la Francoj estos unuaj sur la scenejo.
イギリス人たちかフランス人たちかが、舞台に姿をあらわすでしょう。
二者択一の一方だけが有効ですが、その各々は、それ自体が多数です。
Aux mi aux miaj kontrauxuloj estas prava(j).
僕か、僕の反対者たちかが正しい
此処では文法的に正しくないだけでなく、意味的に単数と多数の間の葛藤も解決できません。好みに従って選んでください。たぶん大多数の方は、単語kontrauxulojに近いことからpraavajを選ばれるでしょう。たぶん問題を避ける最善の策は、単語を繰り返して使うことです:
Aux mi estas prava, aux miaj kontrauxuloj (estas pravaj).
この場合、最も簡単な解決は:
Aux mi aux miaj kontraxuloj pravas.
時として、グループの全員を一緒にしたり、あるいは各個人を別々に考えたりすることがあります。
Unu velo post la alia estis levataj.
帆が次々に揚げられた。
Zamenhoはすべての帆を一緒に考えましたが、もし帆を別々に考えれば、語尾Jを取り去ることができます(その場合には、levatajもlevataに変えます。#29.2.2)。
時には、2つの(あるいは複数の)単数表現が同じモノを示すことがあります。外見は多数ですが、意味は1つだけです。
Gaston Waringhien, cxefauxtoro de Plena Illustrita Vortaro, kaj kunauxtoro de Plena Analiza Gramatiko, estas prave rigardata kiel unu el la majstroj de Esperanto.
Plena Illustrita Vortaroの筆頭著者であり、Plena Analiza Gramatikoの共著者であるGaston Waringhienは、Espernato
表面的には複数のようですが、真相は1人です。だからrigardatajでなくrigardataとなっています。
Tiu cxi strando , aux plagxo, estas perfekta por niaj bezonaj.
この岸、あるいは砂浜は、僕らの必要には完全です。
追加されたaux plagxoは別の場所を言っているのでなく、ほとんど同じ意味の単語です。
時として、1つの主語彙のそばに副次的な比較として、不確かな追加あるいは似たものが置かれます。この時、ふつうには主要な表現だけを考えなさい。こういう文には、しっかりした規則はありません。意味によって左右されます。
La instruistino, same kiel sxiaj lernantoj, estis post kvartaga intense instruado tre laca.
女先生は、生徒たちと同じように、4日間の激しい勉強の後で、非常に疲れていました。
Lacaは、instruistinoを記述しているのですから、ふつうには単数ですが、もし明白に生徒たちも含めようと望むならば、lecajと言っても誤りではないでしょう。
Elizabeto, kaj eble ankaux sxia edzo, estos versxajne invitata(j).
エリザベートは、そしてたぶん彼女の夫君も、招待されているでしょう。
夫君も招かれているだろうという蓋然性に左右されて、invititaあるいはinvititajと言うでしょう。
Sofio, sed ne sxia fratino, estas bonvena al la festo.
ソフィオは、しかし彼女の姉/妹はダメ、お祭りに歓迎されています。
このbonvenaは、意味的には姉/妹を記述していませんから、bonvenajというのは間違いでしょう。
5月22日
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